前頁などでわたしは神への怖れを強調する教説に対する違和感をいろいろと述べてきたわけだが、それらを読んで、この人はよほどカルヴァンが嫌いらしいと思った方がいるかもしれない。序文でも書いたように、たしかにわたしにはカルヴァンの思想が肌に合わない。だからと言ってわたしは、必ずしもルターやカルヴァンといった宗教改革者がすべて間違っていると主張したいわけではない。評価できないと言いたいわけでもない。たしかに彼らは自らの信仰に対して彼らなりに極めて誠実に思索し実践したのだろう。伝記を少しでも読めばわかるとおり、それは紛れもない事実である。しかしながら、肉体を持った人間のやることはすべて不完全であって、これはルターやカルヴァンとて例外ではない。そのため、彼らの熱情や誠実さがかえって裏目に出てしまったという側面があるのではないか。その逸脱と言うか、その思想がもたらした問題は非常に大きいようにわたしには思えてならないのだ。
このことに関してはいずれ詳しく書くつもりだが、ルターやカルヴァンは、結局のところ神に対する怖れをより強く強調することで、信仰の成熟を実現したかったのではないだろうか。しかし、その結果は決して望ましいものではなかったように思う。わたしはその彼らの思想がもたらしたものに疑念をいだいているわけだが、ここではその問題ではなく、まずは彼らも当然重視したであろう信仰の成熟の問題について考えてみたい。
信仰の成熟の問題を取り上げるに当たって、本来ならば、その前提として、成熟とは何か、具体的にはどのような状態を成熟とするのか、といった事柄から論じなければならない。しかしここでは、それはある程度わかっているものとして議論を進める。単純に言って、成熟とはさまざまな意味で「大人になること」だとしておこう。人間が大人になるには、(現代においては)少なくとも20年近い時間の経過が必要である。しかも人間が成熟した大人になるには、肉体面だけでなく、あるいは知識面だけでもなく、心理面や精神面といったさまざまな側面のバランスの取れた成長が必要となる。そのため、人間は生まれてから大人になるまでの間、家庭や学校、また地域社会によってさまざまな教育を受けることになる。それに加えて、最近は教育心理学でも、人間が健全な発達をとげるには、親にしっかりと甘える経験、そういった時期がとても大切だとされる〔補説1-1〕。人間が成熟するには、その前の未熟な段階も非常に大切な時期であって、この時期をないがしろにすることはできないのである。
しかも、これは何も成長に限らない。習い事でも何でも一朝一夕には成就できないことは多くの人がご存知であろう。何事もそうだが、基本を学ばず、基礎の段階を経ずして、一足飛びにプロの段階には誰も到達しない。信仰とて同様で、基礎の段階、未熟な段階を無視して、いきなり成熟した信仰を求めても無理というものである。大体、人間が成熟するにも幼い段階があり、時間をかけて成長してきたのだから、信仰の成熟にもそれなりの時間をかける必要があるはずである(コリント前書 13:11-12参照)。それならば、信仰者に多少未熟なところが認められたとしても、特に初心者の場合、あるいは一般信徒の場合でも、ある程度はこれを容認し、その信仰で安心してじゅうぶんに神を求めさせてあげる柔軟さが教会や指導者に求められるべきであろう。成熟した信仰とはどのようなものか、(真に理解できているかどうかは別にして)初期の段階できちんと教えておく必要は当然あるだろう。それは当然大事なことだが、しかし、生まれたばかりの赤児にいきなり牛肉のステーキを与える愚を冒す親がいないように、何事も焦りは禁物である。その意味で彼らを成熟した信仰者に育てるのは教導者や先輩たちの役割であり、腕の見せどころだと言ってよい。いくら成熟した信仰の状態を神学的に明確にしえたとしても、単なる教理問答書をまる覚えしたような理解でこれができると思ったら大間違いなのである。
ライフサイクル論やアイデンティティー(自己同一性)の用語で知られるエリクソンは、人間の成長にとって一番大事な発達課題は「基本的信頼」だとする〔『幼児期と社会1』仁科弥生訳、みすず書房、1977年5月. この発達課題が相当する時期は0〜1歳半の乳児期で、これはフロイトの言う口唇期に相当する〕。次頁等でも取り上げる信仰と甘えの問題とも関連するが、母親に心ゆくまで甘えること(授乳を含む)などから培われるこの基本的信頼感が弱いと、成長しても病的な依存など心理的な問題を当人が抱えることが多くなるだろうことは昨今よく指摘されるところである。そのような基本的信頼感の弱い人がたとえ誰かを愛したとしても、それが一種の依存的なしがみつきにしかならない可能性は非常に高い。そのままの状態にとどまっているかぎり、彼が人生において成熟した愛を手に入れることは、不可能ではないにしても極めてむずかしい。さらにそんな人間が長じて、たとえ何らかの宗教を信じたとしても、そのような心理的状態でなされる信仰がそのままで成熟したものに育つ可能性はかなり低いと言わざるをえない。基本的信頼感なしの信仰態度(それは必然的に基本的不信感に根ざした信仰態度となるに違いない)はかえって病的な「狂信」を生むだけである〔谷口隆之助『疑惑と狂信との間』ヒュ−マン選書、川島書店、1968年、参照〕。したがって、もしも基本的不信感(怖れ)を育てがちな宗教信仰があるとしたら、それだけでその宗教は問題を抱えていると言ってよいのではないかと思う。わたしの個人的見解ながら、基本的信頼感を信仰者にどれだけ得させられるかでその宗教の真価が決まるので、その点を無視して、その宗教や信仰が正しいか否かを客観的に論じることはあまり意味がないとわたしには思えるのだ。それだから、宗教を信じるにしても――逆に思うかもしれないが――まずは自他に対する「基本的信頼」を自分の中に確立してからの方がよいということになる。ただし、基本的信頼をじゅうぶんに確立できていない人間の方が現実としては多いことは想像に難くないので、そこで現実問題として、その入信者が基本的信頼感を得られるよう、その宗教の先達などがその人の信仰(≒信頼感)を時間をかけて育ててゆく必要があるという次第である。→
そのうえ教会の門戸は、新しい信仰者を迎えるべく世間に対していつも開かれていなければならない。教会はいつも初心者を抱えていなければならない宿命にあるのだ。これは何も教会だけのことではなく、この世のすべての組織が抱えている限界であると言える〔補注1-1-1〕。それだから、初めて教会の門を叩いた求道者(きゆうどうしや)にいきなり確立した成熟した信仰なるものを求めることはもともと不可能なのである(中世および近世のヨーロッパにおいてはその住民のほとんどすべてが形だけでもキリスト教徒だったわけだから、宗教改革時における初心者はカトリック信仰からの転宗者がこれに当たるだろう。ただ、ここではその点は脇において、現代のことも考慮に入れて論じている)。たしかに信仰教育のためには、形をなした、しっかりした教理も必要だろうが、それだけで教会員の教導がすべて賄えるわけではあるまい。このように教会はいつも不完全な状態におかれていることになるわけだが、逆に言えば、それだからこそ教会は生きた信仰共同体なのだとも言える。そのため、人間の成長と同様、効率が悪いかもしれないが、さまざまなハプニングの中での生きた教育が必要となる。単なる知育ならまだしも、霊的な事柄(これは人間的かつ人格的な事柄においても同様で、何も霊的な事柄にばかり限定されるわけではない。わたしは人間的=実存的な事柄はすべからく霊的=宗教的な事柄でもあると捉えているが、両者はやはり無理に区別すべき事柄ではないと思う)を効率的に教えることは基本的に不可能だ。多少の効率化は可能だろうし、必要かもしれないが、いたずらに効率を優先したら、信仰教育はおろか人間教育も無残な結果に終わる。この世においては、教会も信仰者も、不完全なまま、未熟なままこれを容認することが求められている――いや、人間そのもの、そして世界そのものがもともと不完全さを免れぬ存在なので、この世界においては完全無欠な教理や教会は誰にも実現できない。それはいわゆるユートピアの夢でしかないのであって、われわれは常にそのことを意識する必要があろう。
次に、上記の議論と関連する問題として、ここで信頼と甘えおよび依存との関係についてごく簡単ながら触れておきたい〔甘えと信仰の問題についてはいずれ詳論する予定ながら、とりあえず次頁に次頁において多少詳しく論じておいた〕。
『「甘え」の構造』〔弘文堂, 1971年〕で知られる精神科医・土居健郎は、その一連の著書で甘えに相当する言葉が欧米には存在しないことを指摘し、日本文化に特徴的なこととして、その治療的意義も含めて「甘え」を積極的に評価した〔補注1-2-1〕。また、同じく精神科医の渡辺登によれば、「甘え」は「依存」に包括することができる概念だと言う〔渡辺登『よい依存、悪い依存』朝日選書、朝日新聞社、2002年1月、p.96〜97〕。渡辺は依存も発達段階に応じたものであればそれはよい依存だとするのだが〔同書、p.52〜54〕、《支え支えられ、与え与えられ、癒し癒される成熟した依存》〔同書、p.52〕という渡辺によるよい依存の説明は、まさに土居の言う意味ので「甘え」と共通する部分を持つと見てよいだろう。それゆえ、ここで「神に対して甘えることは許されるだろうか?」と問われれば、わたしも「ある程度は許される」と答えたい。その人の信仰の状態(成熟度)によっては、神に対する甘えも許容されると考えるからだ。いつまでもその段階にとどまっていてはいけないし、それでは成熟した信仰とは言えないかもしれないが、それでも神に対する関係としては、神を過剰に怖れるよりは神に甘える方がよほど優れた態度だと言えるのではないか。わたしはそのように信じている。
以上、わたしの違和感を中心に、怖れとその反対概念に当たる愛や信頼についてキリスト教信仰との関係から論じてきたわけだが、本頁の最後に、多少結論的なことをいくらか書いておきたい。
心理学に関しては素人ながら、わたしは、愛や信頼と怖れとは、少なくとも同じ対象に関する感情としては本来同居しえないのではないかと考えている。ましてや、それが同じその対象との関係の在り方を意味する言葉として、愛と怖れが両者ともに同じような次元で使われた場合はなおさらであろう。もちろん先にも書いたとおり、わたしは神や神的な存在に対する畏怖や畏敬の念を必ずしも否定するつもりはない。しかしながら、ある対象に対する怖れの感覚が特に過剰な場合、その対象に対する愛や信頼の念は自然と薄くなるはずだし、そもそもこの両者はもともと両立が難しい観念なのだ。この両者の同居が絶対にありえないかどうかはわたしには断定できないが、もしもそれが同居しうるとしたら、その場合、その人は相当にアンビバレンスな矛盾した心理状態におかれることになるのではないだろうか。そのとき彼はかなり病的な心理状態におかれることになるだろうことが推察される。それだから、ある対象に対して愛や信頼と同時に怖れの念を同時に持たせようとするアプローチは、かえってその対象に対する分裂した感情を呼び起こし、その関係を病的な歪んだものにする危険性が高いと考えられる。それに、とかく人間は愛や信頼よりも怖れや敵意の方に親和性を持ちやすいものである。先に触れたカルヴァン流の《厳しいおそれに結びついた信仰》は、だから、怖れを強調するあまり、神への信頼の念をかえって「疎外」(この場合は「阻害」の方が表現としては適切かもしれないが、あえてこの表現を用いる。何となれば神との信頼関係から「的外れ=罪」となった状態とは、まさに神との「疎外」状況そのものに他ならないからである)する結果を生むのではないかと思うのだ。先にも述べたように、神に対して独裁者ないし暴君に対するかのような接し方(この場合は「服従」という表現がより適切であろう)をする人が真実に神を愛せるとはわたしには到底思えない。ましてや性格的に歪んだ愛や怖れの持ち主が、神に対してだけはこれを正しく愛し畏れることができるとも思えない。だから、最初から神への怖れを強調するアプローチ(神への接近の試み)は、その主唱者がもともと意図したのでない結果をもたらすだけのようにわたしには思えてならないのである。
議論としてかなり唐突な印象を与えるかもしれないが、神に対する過剰な怖れの強調が結果するところは、時に人間の歪んだ怖れや敵意の神に対する(深層心理学的な意味における)投影をすら生むだけであろう〔補注2-1-1〕。それは、時と場合によっては人間の非人間化を助長しかねないアプローチでもある。神への過剰な怖れの強調は、このように当初の意図と違って、皮肉なことに(聖書カルトによる宣教について触れた時にも見たように)福音を福音でないものに変質させてしまう結果を生むことにつながりかねないのである。これが、カルヴァン流の禁欲的なピューリタニズム――いや、より正確に言えば、古代教会以来キリスト教がその教義解釈を先鋭化ないし急進化(Radicalization、Sharpening)させてきた、その行き着く先だったのではないか。わたしはそのように考えているし、それが本サイトにおけるわたしのキリスト教批判の主眼目でもある。
冒頭にも述べたとおり、わたしは神への過剰な怖れがはびこってしまった原因として、カルヴァン一人に責任を帰そうなどと思っているわけではない。このことについて、最後に「先鋭化」という観点からコメントをしておきたいと思う。
たしかに《厳しいおそれに結びついた信仰》の主唱者はカルヴァンだと言っても決して間違いはないだろう。しかしながら、これはカルヴァン一人の発想ではない。どのような思想であっても、それはそれ以前からの伝統があって形成されたもので、カルヴァンの神学思想とてその例外ではない。たとえばカルヴァンの神学と言えば誰しも「二重予定説」と答える人が大半だが、予定の教義そのものは古くはアウグスティヌスにさかのぼる。また、カルヴァンの二重予定説にしても、彼とその反対者との論争の結果として『キリスト教綱要』第三版(最終版は第五版)から現われ、発展した思想なのである。
これはカルヴァンの先駆者とされるルターの場合も同様であった。ルターの場合は、特にエラスムスとの論争書である『奴隷意思論』において「隠れたる神」の神学が展開された。『奴隷意思論』〔『世界の名著』中公バックス、所収、翻訳は全体の五分の一程度の抄訳だという〕を読めばわかることだが、ルターはこの中で後年のカルヴァンの神学につながる思想を展開している。実際この方面におけるルターの思想は、表現こそ多少違うものの、いわゆる「二重予定説」に結実するカルヴァンの思想(残念ながら出典を失念してしまったが、カルヴァンの中心的な教説は厳密には「二重予定説」と表現されるよりは「神中心主義」と捉えるべきだとされる)をほぼ先取りしているものだと言える。これも論争の結果、その必要から現われた先鋭化の例としてみることができよう。ただルター及びルター派神学の場合、ルターの弟子のメランヒトンがルターの「隠れたる神」の思想を全く理解できず、そのこともあって、ルター神学の発展はこの方面では起こらなかった。これには、ユーモアを解し、日常の楽しみも満喫したルターのある意味楽天的な性格も与っていたようだが、その結果、ルター派の神学はより神の愛を強調する穏健なものとして、その後継者の手によって発展していったのだと理解することができる。
いずれ詳しく論じる予定だが、一般にカルヴァンの神学と言うと、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』〔大塚久雄改訳、岩波文庫、1989年1月、以下便宜的に「倫理論文」と略称〕第二章の最初の方で展開されている説明や、ウェーバーの解説書〔たとえば山之内靖『マックス・ヴェーバー入門』(岩波新書・新赤版、1997年5月)その他〕で説明されている内容をそのまま踏襲しているものが大半だろう(わたしも『綱要』の抄訳〔前頁補注参照〕や彼の伝記二、三冊を見た程度で、わたしのカルヴィニズム理解も基本的にはそれらとあまり大差はないが、その基本は外していないと思っている)。もっともそれは、厳密に言えばカルヴァンその人の思想というよりは、彼の死後80年ほどして成立したウェストミンスター信仰規準(1647)などにその先鋭化の姿として現われているものである(ウェストミンスター信仰規準としてまとめられたカルヴィニズムは、予定説の批判者アルミニウスを排斥するためにカルヴァンの死後50年ほど経って行なわれたドルト信仰会議〔1619〕の議論などをも踏まえて形成された思想である)。実際ウェーバー自身がその倫理論文において注記しているように〔上記翻訳、p.150〕、ウェーバーが描くカルヴァンの神学は、ウェストミンスター信仰規準に鮮明な形で現われた《理念形》としてのカルヴィニズム(厳密に言えば「後期カルヴィニズム」)なのである。だからそれは、単なるカルヴァン派の神学とも一線を引いて理解すべきものである(ウェーバー自身の説明によれば、カルヴァンの神学を、その宗教思想としての重要度ではなく、その後の社会=経済面に与えた影響の強さから描き出すために、カルヴァンの「二重予定説」が大きくクローズアップされることになった)。だから、前頁でも述べたプロテスタント神学における人間否定の立場を直ちにカルヴァン個人に帰結させてよいかとなると、やはり多少の疑問は残ると言わざるをえない。大体カルヴァンとて、その神学が彼の死後どのような形で発展することになるか予想しえなかったに違いない。いや、こんなことは誰にも予想できないことである。しかしながら、そのような形で神学を先鋭化させる萌芽がもともとカルヴァンの思想のうちにあったことは事実なので、カルヴァンに一切の責任がなかったかと言えばそれも間違っているとわたしは思うのである。以上いささか議論が詳細にわたったが、ここでわたしが言いたいことは、論敵との論争の結果として「二重予定説」が明確化された過程(プロセス)と同じ運動、すなわち「先鋭化」の運動がここにも明瞭に現われているということである。
ちなみに改革派神学者であるジョン・ヘッセリンクが、カルヴィニズムの先鋭化について大変うまい表現を紹介しているので、参考までに以下に引用しよう。ヘッセリンクは、改革派に対するさまざまな誤解を解く目的でなされた一連の公開講義をまとめた本の中で、《予定説はアウグスチヌスの場合は安全であり、カルヴァンの場合は理解でき、イギリスのピューリタンの場合は煩雑なもので、スコットランド長老派の場合には全く恐ろしいものであった》という言葉を引用し、その上で《オランダのカルヴァン主義者の何人かにも、この最後のコメントに該当する者がいる!》と述べている〔I・ジョン・ヘッセリンク『改革派とは何か』廣瀬久允訳、教文館、1995年5月、p.73〕。神学思想上の先鋭化(急進化)とは、要するにこういう形で起こるものなのである。
ここで少し観点を変えよう。先鋭化や急進化に関しては、キリスト教とは別の例をあげておくことも理解の助けになるかもしれない。
過日わたしは映画『ショア』を某所にて数回に分けて視聴したのだが、その中でホロコースト問題の大家ロバート・ヒルバーグがユダヤ人迫害の歴史を簡単にまとめて秀逸な解説を行なっていた。それによると、古代末期、ユダヤ人は「ユダヤ教徒として生きてはならない」(強制改宗)と言われた。次に中世になって、ユダヤ人は「われわれのなかで生きてはいけない」(ゲットー、隔離政策による排除)と言われた。そして20世紀に入って、今度はユダヤ人は「生きてはならない」とダイレクトに命じられることになった。これがホロコーストである。専門家によっては、ホロコーストをそれ以前のユダヤ人迫害と同列にあつかってはならないとする人もいる。たしかにこの両者には異質な側面があることは事実だろう。しかし、ヒルバーグの簡便な説明が見事にその本質を剔出(てきしゆつ)しているように、そこに連続性があることも決して否定することはできない。何となればユダヤ人迫害の歴史は、ヒルバーグが的確に要約したように、「●●として生きてはならない」という最初の命令が、まだ容認できる範囲の先鋭化の末に、ついにその「●●として」という前提が外さるという形で進んだ。かくて、「●●として生きてはならない」に内在していたその悪魔的な正体がここについに顕わになったのである。
たしかに迫害は容認できない事実には違いないものの、前世紀のそれと比べれば、古代末期にはそれはまだ穏健なものであった。中世におけるゲットー政策もまた、市中での危険を考えれば、ユダヤ人にとってはそこはまだ安全が保証された場所であった。それが、キリスト教に改宗しようが、ゲットーに隔離されようが、あるいは従軍して武勲を立てようが、何をしようが、ユダヤ人というだけで排除の対象となったのがホロコーストである。たしかに古代末期において「ユダヤ教徒として生きてはならない」という命令が必然的にもたらす結末を予想しえた人はたぶん誰もいなかったであろう。「●●として生きてはならない」の最終段階はしかし、最後は必然的に「人間として生きてはならない」にならざるをえない。これをわたしは先鋭化の最たる例だと見ているのである。ユダヤ人迫害の歴史に限らず、先鋭化の動き(ムーブメント)はえてしてこのような形で進むのだ。
ユダヤ人迫害の問題は、ここではこれ以上云々しない。実際あまり軽々しく論ずべきテーマでもないだろう。しかし、先鋭化や急進化について明確なイメージを描くには最適なテーマだと思ったので、ここであえて取り上げた次第である。神学の先鋭化も時と場合によってはこのような恐ろしい結果を生み出す危険があるとわたしが捉えているということを理解していただければ幸いである。誤解をしないでいただきたいのだが、わたしは先鋭化の動きがすべて間違っていると考えているわけではない。自らの思想や立場をより明確にさせるために、それが有効な効果をもたらすことも事実だろうからである。しかしながら、論争や異端排斥の結果としてその思想が先鋭化(急進化)した場合は、いろいろと厄介な問題を後世に残すことになる。歴史において迫害や反対者の虐殺などがたびたび起こるのはみな先鋭化の結果でもあるのだ。
くりかえすが、わたしは先鋭化の働きがすべて間違っていると思っているわけではない。その証拠に、たとえば改革派の「キリストの言葉によって日々改革される」とする立場は非常に評価できる視点だと最近は捉えるようになった。しかしながら、その改革が悪しき先鋭化(この場合は「急進化」と言うべきかもしれない)として結実した場合は、その結末が《全く恐ろしいもの》(ヘッセリンク)となる、その危険性をわたしたちは決して忘れてはならない。ユダヤ人迫害の「●●として生きてはならない」が、最終段階でその限定を外され、「人間として生きてはならない」に結実したように、先鋭化(急進化)した末に「人間疎外」、いや「人間排斥」をもたらすような宗教の教えは、やはりそのどこかに何らかの問題を孕んでいたと見るべきだとわたしは思うのだ。たとえそれがその宗教が立教の時点(キリスト教で言えばイエスの福音宣教のその時)からもともと孕んでいた問題点でないとすれば、それはどこかでいつの間にか紛れ込んだものであろう。そのような逸脱の種を紛れ込ませる要因がもともとその思想になかったかどうかも含め、批判的な反省はわれわれに対していつも神から要求される課題なのだとわたしは考えている。聖書カルトの問題を取り上げた頁その他でも触れたことだが、われわれは自分たちが信じているそのキリスト教がはたしてほんとうに正しい教えなのか。あるいはほんとうに神の御心にかなった正しいキリスト教なのか。いつも反省を忘れてはならないのだろう。わたしたちは、キリスト教に限らず、自分たちが信じるその教えとそれがもたらす結果、すなわち《その実》によって《その木》を知る必要があるのである。
先にも述べたように、わたしはラディカル(先鋭的)であることがそのことだけで間違っていると言いたいわけではなく、間違った先鋭化を問題にしているのである。
成熟した信仰の問題について本頁の最初の方で論じたように、教会は普段からいつもさまざまな人を受け入れなければならない組織である。それは、この世の現実として、教会においても信仰上の完全な成熟は望めないということを意味している。教会員の中には、人間的に尊敬できる立派な信仰者もたくさんいるだろう。しかし、いろいろと問題を抱えた人もそれと同じくらい存在するはずである。上でも論じたように、信仰共同体は求める人にはいつも門戸を開いていなければならないし、そういった人たちをいつも快く受け入れなければならない。それがこの世にある教会の宿命なのだとすれば、それは、理論的に整理された完全な教理をそのままの形で実践することがもともと許されない組織であるということになる。ところが、いたずらな先鋭化は、そのような曖昧さ(現実の姿そのもの)をえてして断罪しがちである。それに対してわたしたちは、先鋭化・急進化の罠に捕われず、人間世界、ひいては教会における《曖昧さに耐える勇気》(マスロー)を持つ必要がある。だから信仰者は、信仰上のラディカルさを保ちながらも、信仰の実践はあくまで柔軟に行なうよう心懸けるべきだと思うのである。
それに関連して言えば、精神科医でクリスチャンでもある工藤信夫が『信仰における「人間疎外」』の中で、「健全な不信仰」の必要性を述べている。この表現には多少問題があるかもしれないが、言いたいことは伝わってくる。工藤が言いたいことは、柔軟な信仰態度が何よりも大切だということである。
ここで柔軟な信仰ということで思い描くのは、V.E.フランクルの講演集『それでも人生にイエスと言う』〔山田邦男、松田美佳訳、春秋社、1993.12月〕の訳者解説で紹介されたフランクルの文章である。そこでは、強制収容所に夫婦で収容された時に夫が妻に向かって、どんな犠牲を払ってでもよいから、必ず生き残るよう頼んだという。彼女は美人だったので、「どんな犠牲を払っても」とは、「たとえゲシュタポに対して売春行為をしたとしても」という含意があった。フランクルによれば、このとき夫は妻に免罪符を与えたかったのであり、それは、《汝姦淫するなかれ》という十戒の掟に違反したとしても、それは《汝殺すなかれ》(フランクルはこの戒めを自殺禁止としても捉えている)という十戒を守るものであったのだと言う。孫引きながら、以下のその箇所のフランクルの言葉を引用しよう。フランクルは次のように言うのだ。《この最後の瞬間に良心が、十戒のうちの「汝は姦通すべからず」から妻を免ずることを、この夫に強い、命令したのである。この独自な状況、実際ある独自な状況では、夫婦の貞節という普遍的な価値をすてること、すなはち十戒の一つ反することが独自な意味なのである。たしかにこれが、十戒の中の別の一つ、「汝、殺すべからず」に従うただ一つの方法だったからである。》〔補注2-3-2〕
補注2-3(2):
この例によく表わされているように、フランクルは、ある戒めを守るために別の戒めを破ることを是としているわけだが、このような柔軟な態度こそが律法の精神を活かすものだとわたしは捉えている。よく人は勘違いしがちだが、律法の個々の条項が大切なのではなく、その個々の律法に現われているその精神、神の御心といったものが一番大切にしなければならないものなのである。その本末を転倒する時、そこに悪しき律法主義というものが現われてくる。律法主義に陥らず、律法を真に活かす行為こそが柔軟な信仰生活と言えるので、わたしはそれをこそ「柔軟な信仰」と捉えている。そのような信仰態度・姿勢は、律法主義的な人からすれば律法違反だと見られるかもしれない。だから、「健全な不信仰」という表現もあながち間違いではないとわたしは思うわけである。ここでは詳述しないが、律法否定にも見える福音書におけるイエスの言動(山上の垂訓、特にマタイ5:17-48におけるイエスの宣教などはその最たるものだと言ってよいだろう)もまさに律法の精神を活かすためのものだったのである。だからこそパリサイ人や律法学者からはイエスおよび彼の弟子たちはさまざまに非難し攻撃されたのである。
パリサイ人に代表される教条主義者には、そのような柔軟な態度がどうしても許せない行為に映る。それはイエス在世当時も今も変わらない他者に対する断罪の態度であると言ってよいであろう。毒麦の譬え(マタイ 13:24-30)において、天の国とは麦と毒麦とが共存している状態であることが示されているとわたしは解釈しているのだが、柔軟な信仰とは、このような曖昧な状況の中で拙速に人を裁かないことを意味している。あくまで信仰はラディカルさ(根本的、根を持つこと、必ずしも急進的の意味ではない)を保ちながらも、しかし、矛盾が常態と言える現実世界の中で、その曖昧さに耐えつつ、柔軟にその信仰を生きる。そのような信仰態度こそが、神に諒(りよう)とされる真に生産的で健全な信仰態度だと言ってよいであろう。そして、それこそがイエスが生きて見せた信仰態度・姿勢と相通じる生き方であるとわたしは見ているのである。(なお、このようなラディカルながら柔軟な態度というものは、何もキリスト教だけに限らないし、あるいは宗教だけに限定されるものでもないことをここで指摘しておきたい。)
福音は、「怖れよ」と伝えているのか、それとも「怖れるな」と伝えているか?
先に引用した聖句(「恐れるな。見よ、今日ダビデの町に救主がお生れになった」)にもあるように、聖書は羊飼いたちに対して明確に「怖れるな」と語りかけている。「(神を)怖れよ」であれば、旧約時代から散々言われてきた(当然のこととして、「神を愛せ」も数限りなく言われてはいるのだが)。イエス・キリストの福音に新しさがあるとすれば(もちろんそれが新しくないわけがない!)、それはやはり「神を怖れるな」というメッセージに尽きるのではないだろうか。その意味で聖書は、やはり「神を怖れるな」と述べ伝えていると解釈すべきではないだろうか。何となればイエスは、人が神を自らの真の父として、しかも幼い子が父親を呼ぶ時に使うアラム語の「アッバ」という表現で呼び求めるようにと人々を誘ったのである。イエスの新しさはここにあるのではないかとわたしは考えている(たしかに旧約でも神は「父」のメタファーで呼ばれるが、しかし、その父を「アッバ」と幼児語で呼ばせたのはたぶんイエスが初めてである)。ここでは聖書などを引いて詳しく論証することはしないが、少なくとも新約聖書が旧約聖書以上に神への愛を強調していることは間違いない事実であろう。それに対して、これが聖書根本主義的な立場の信仰では、旧約も新約もほぼ同次元でこれを重視するために、「怖れるな」の福音が活かされずにきてしまったのではないかとわたしは推察している。しかも、近年特にその傾向が強くなっているようにも思うのである。(ただし、ここで誤解のないように申し添えておくが、ユダヤ教の神すなわち旧約の神が怒りの神であるという捉え方は必ずしも間違っていないとは思うものの、そのことを強調しすぎることに最近は疑問を持つようになった。何となれば、神への怖れの強調は、ユダヤ教に由来すると言うよりも、先に触れた「先鋭化」という視点から見てキリスト教に特有の変化の側面も強いのではないかと考えるからである。)
怖れの感情から人はその対象を真に求める(=愛する)ものだろうか?
もう一度聞きたい。福音は「神を怖れよ」と伝えてるのだろうか? それが喜ばしき音ずれだったのだろうか?
先に引用したパウロの言葉からも明らかなように、端的に言って福音とは、わたしたちがイエス・キリストを通して神を自らの父(アッバ)として求めることを許された、そのことの「福音」(Good
News)なのだ。何となれば、再度引用するが、私たちは《再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。》(ロマ 8:15) タラントの譬えにおける《主人といっしょに喜んでくれ》(マタイ 25:21、23)の直訳が「主人の喜びに入れ」であることからも明らかなように、福音において人は神と喜びの関係に入るのであって、怖れの関係に入るのではない。
私もかつて信仰を得た時にそうだったが、その喜びによって、その喜びにおいて、わたしたちは信仰告白をするのである。それだから、心からなされる信仰の告白とは、決して怖れの感情からなされるものではない。(もっともわたしの場合は、それはキリスト教以外の宗教の信仰であって、その喜びの内容は当然ながら違うだろうだが、本質的には、すなわちその信仰の姿勢ないし方向性においては同じものだと信じている。)
本来このテーマ(「怖れに根ざした信仰」)は、カルヴィニズムとその近代への影響について考察する導入部(序論)として書き始めたものであるが、実際に執筆してみると、これがとんでもないテーマであることがわかった。この問題はキリスト教の根幹に関わる、それこそ相当に詳しく論じなければならないテーマだったようだ。本テーマは、わたしにとっては本来、序論的な論考というよりも本論的な位置づけを持ったテーマだった。それを今回改めて認識させられた。そのようなわけで、これから本テーマの各論的な議論に入ると(当初の予定では、ルターの個人的な回心の体験や、アメリカにおける大覚醒時代に活躍したジョナサン・エドワーズの脅迫的な説教などについてもいくらか触れる予定だった)、いくら書いてもキリがない感じになってきた。単にわたしが怠け者だということもあるが、このままだと当初予定していた論考にいつまでも手がつけられなくなる。そこで、本テーマは折々加筆はするものの、とりあえずはこれでいったん終了とし、当初予定していた論考の執筆に移ることにしたい。