キリスト教会で伝統的な厳しい怖れに結びついた信仰は果たして聖書的にも正しい信仰か。ここでは、甘えの概念を持たない欧米人と神への怖れの関係について考察します。
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文化の違いと神信仰をめぐって
―甘えの感覚すらない欧米人と神への怖れ―

幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である。よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない。(ルカ 18:16-17 口語訳)

 加筆しているうちにいささか長くなったので文章全体を分割し、なおかつ順番も入れ替えた。(2014年8月1日)


 ここで章を改め、キリスト教、特にプロテスタンティズムにおいて神に対する怖れが何故に強調されるようになったのか、その点をわたしなりに考察してゆきたいと思う。ここでは、まずはもっと全体的な歴史的=文化的な観点からこの問題にアプローチしたい。

 《人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたの》だ(ロマ 8:15)と言われ、さらに、《愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出》す(一ヨハネ 4:18、以上、新共同訳)とまで言われながら、わたしたちは再び怖れをいだかせる奴隷の霊を受けたのだろうか? 厳格なプロテスタンティズムの教説に触れ、あるいはあまりに厳しい神への怖れを強調する主張を見るにつけ、そのたびにわたしはこんな問いかけをしたい気持ちを覚える。

 それでは、このような厳しい神への怖れが強調されるようになった(これが神学の先鋭化ないし急進化だとわたしは見ている)のはなぜか? 一体どのようにしてキリスト教神学あるいは信仰の中に、このような極端とも言える神への怖れが入り込んできたのだろうか?


はじめに―キリスト教への問いかけと問題提起―

 以上わたしは、キリスト教における神への怖れの強調についていろいろと述べてきた。わたしは、キリスト教の伝統的な教義解釈にしたがって、神の怒りやその神への怖れを主張するよりも、神の愛とその神への愛を強調したい、強調すべきだと以前より考えてきた。しかし、このようにわたしが神への怖れよりも信頼(=愛)を強調したいと思う要因のひとつは、わたしが日本人だからこそ感じることだと言えるかもしれないと、最近はそんなことも考えるようになった。そのこととも多少関連するが、本頁などでは、彼我の文化の違いやそれに伴うさまざまな感覚の違いにも着目しながらこの問題について考察(アプローチ)してみたい。

 そのため、ここで章を改め、キリスト教、特にプロテスタンティズムにおいて神に対する怖れが何故に強調されるようになったのか、その点を考察してゆきたいと思う。ただこの問題を考察するには、まずはルターやカルヴァンの神学とその発展を調べることが必要となるだろうが、しかし、それを行なうには現在のわたしの知識では荷が重いというのが正直なところである(現在いろいろとルターやカルヴァンの伝記類なども読んではいるのだが、参考文献の精読など現在のわたしには少し荷が重い部分もある。そこで、先にも書いたように、キリがないので見切り発車して、まずはできるところから書いている次第である。そこで、そのような個別な神学者の思想や人生の考察に入る前に――これもわたしのできる範囲でしか行なえないことは当然だが――ここでは、まずはもっと全体的な歴史的=文化的な観点からこの問題にアプローチしてみたいと思う。まずはその手始めとして、前頁で論じた未熟な信仰と成熟した信仰の問題に関連するテーマとして、簡単ながら「甘え」の問題をここで取り上げることにした〔詳細な論考は後日「信仰と甘え」とでも題して別に論じる予定〕


1:言葉と文化―言葉(概念)がなければ存在しないも同じ―

 よく知られているように、欧米においては親が乳幼児と添い寝をすることは元来ほとんどなく、親の寝室とは別の部屋で子どもを一人で寝かしつけると言われる。このことからもわかるように、一般に西洋においては、日本などとは違い、依存を否定し、自立を強調する傾向が強いと言えよう。特に西洋の近世・近代において「個人主義のイデオロギー」〔レミ・C・クワント『人間と社会の現象学――方法論からの社会心理学――』早坂泰次郎監訳、勁草書房、1984年6月.特に第一章の議論を参照〕が支配的となって以来その傾向がますます強くなったようだ。だからこそ、「信仰における甘えなど以ての外」といった考え方も出てくるのだろう。もっとも、欧米社会には「甘え」という言葉(概念)すら存在しないことを土居健郎が指摘していることからもわかるように、彼ら欧米人には「神に甘える」という感覚すらもともとなかった可能性も高いと言えよう。

 そのことと関連するが、最近の研究によれば、言葉が存在しなければ、すなわち言葉によって意味が付与されなければその事柄は存在しないも同じであるという補注1-1。これらに関する事例はなかなか興味深い話題だし、本論ともかなり関わる問題なので、本論の内容から多少外れるが、以下でなるべく詳しく解説しておくことにする。

補注1:


 言語学者の鈴木孝夫は『ことばと文化』(岩波新書)の中でさまざまな事例をあげながら、言葉が《私たちの世界認識の手がかりであり、唯一の窓口であるならば、ことばの構造やしくみが違えば、認識される対象も当然ある程度変化せざるを得ない。 (中略) そこにものがあっても、それを指す適当なことばがない場合、そのものが目に入らないことすらある》〔『ことばと文化』、p.30〜31〕と述べている。

 具体例をいくつかあげよう。
 ある本によると、英米語には肩こりに当たる言葉がないと言われるが、それは日本人以外は肩がこらないからだという。『冷えと肩こり―身体感覚の考古学―』〔白杉悦雄、講談社選書メチエ581、2014年8月〕という本に、ヨーロッパ在住経験の長い日本人医師による報告として、数年間にわたる在欧中に一度も肩こりを訴えてきた患者が存在せず、肩こりについていくら説明しても理解してもらえなかったという話が紹介されている〔同書、p.4〕。また一説によれば、たとえ英語圏の人間がstiff neckないしstiff shoulderを医者に訴えてきても、その部位は日本人のそれとは微妙に異なっている。ところが、日本で長年暮らして日本語が達者になった英米人の中には日本人と同じ部位に肩こりが現われるようになる人もいるという〔早坂泰次郎『人間関係学序説―現象学的社会心理学手の展開―』川島書店、1991年4月、p215〕

 それだけではない。上記の本によると、江戸時代の流行病であった疝気(せんき)という病にいたっては、明治時代以降の西洋医学の導入による医学上のパラダイム変換に伴って、現代では存在すらしない病気になってしまったという〔白杉、前掲書、第4章「せんきの病」参照〕。この病気は下腹部から股の付け根あたりに激しい痛みを生じ、悪化すると陰部の肥大などの肉体的な病変を伴う疾患であったものが、江戸時代に一般に信じられてきた身体観がなくなると同時にこの世に存在すらしない疾病になったというのである(身体観や世界観といったものも言葉と密接な関係があり、両者は切っても切れない関係にあることをここで簡単ながら指摘しておく)。その一方で逆に、現代人はその多くがストレスを抱えて生きているが、そのストレスにしても、1936年にセリエがストレス学説を発表するまでは人はストレスを感じることがなかったということもその例としてあげることができるだろう。ストレス学説が生まれ、ストレスという言葉が人口に膾炙(かいしや)するようになって、人ははじめてストレス(実際にはフラストレーションとの混同もあるようだが)を感じるようになった。その意味でストレスは現代人にとって今や立派な身体感覚となったのである〔同書、p.179〜180〕


 ただし、これらの事例はあくまで個人の身体観の問題で、必ずしも文化や歴史とは直接的な関わりはないのではないかという疑問をいだかれる人もいるかもしれない。そこで今度は、もう少し大きな視点からこの問題を考察してみよう。

 今ではあまり見られなくなったとは思うが、かなり原始的な生活を送っている未開な民族の誰かを大都会に連れてきても、そこで彼は何も意味のある存在を認めない、彼は何も見ないに等しいという。それに関して、ある本に大変興味深い例があげられている〔ヴァン・デン・ベルク、早坂泰次郎共著『現象学への招待――<見ること>をめぐる断章』川島書店・1982年5月、p.99〜100〕。それによると、ある研究者が、未開な山岳民族の一人をシンガポールの町で一日連れ歩いた上で「あななた何を見たか」と訊ねたところ、その男は「たくさんのバナナを抱えた人を見た」とだけ答えたという。彼は実際たくさんのバナナを車に積んで運んでいる人を見たのだが、町中で見たもののうちで彼にとって意味のあるものはバナナだけだったのだ。これは、その男が関心を寄せられる、あるいは認識できる身近な対象はバナナだけで、それ以外の自動車や舗装道路といった存在は彼にとっては存在しないに等しかったということを意味している。これは、たとえばタイムマシンで原始人を東京やニューヨークなどといった大都市に連れてきても同様で、これら大都会の摩天楼も、舗装道路を走る自動車も、彼の目には映らない。それは、彼にとって意味のあるものがそこには何も存在しないからである〔クワント、前掲書p.83〜84他参照〕。われわれと同様の景色としてそれら摩天楼が彼にも見えるようになるには、そこで現代社会を彼なりに理解し、現代人とほぼ同じような生活を彼が送るようになってからだろう〔同書、p.120〕。以上のことからもわかるように、これは、人間が意味を与えた、すなわち言葉を付与した事象だけがその存在を許されるのであって、その逆ではないということである。

 これは何も必ずしも主観主義的ないし観念論的なことを言っているのではない。ましてや、「思ったとおりになる世界」などといった近頃はやりのスピリチュアルで唯心論的な薄っぺらな主張を展開しようと思っているわけでもない。わたしは、たとえその事物が人間とは別個の客体として存在していたとしても、その事物に誰かが名前(意味)を与えないかぎり、それは人間にとっては認識できない、すなわち人間的な意味では存在しない(=見えない)ということを言っているのだ。人間的な意味を持たない、すなわち人間以外の捉え方というものはもともとこの世に存在しないのだし、人間が生きている以外の世界は、人間がこれを「発見」するまでは無に等しいのである補注1-2

脚注1(2):


 なお、ここでひとつ補足しておきたいことがある。言葉(の違い)によって、特有の文化とその文化の中に生きる人間が作られる(形成される)ということを以上いくつかの事例をあげて述べてきた。しかし、このことだけを強調することは言うまでもなく一面的な理解でしかない。言葉によって文化が作られることは事実だが、その反面、その中で生きる人間が文化を形成し、新たな言葉を作ってゆくこともまた事実だからである。これは言葉の持つ両義性であって、そのどちらか一方だけを抜き出して強調することは、やはり物事の一面をしか見ていないというそしりを免れないであろう。


2:甘えが許されない文化と神信仰

 議論が論旨からだいぶ外れた。そろそろ話を元に戻そう。


 近年、信仰を依存と同一視し、これを否定的に捉える向きが多いが、わたしはそのような見解にはかなり異義がある。たしかにいつの時代も「宗教は民衆の阿片」であったろうし、今もその手の宗教、偽造宗教および宗教偽造の営み(谷口隆之助)が存在することは事実だが、だからと言って、そのことをもってすべての宗教的営みを否定することは間違っている。さらに、わたしは信仰は単なる依存ではなく、これを単純に同一視することはできないと信じている。もちろんこの両者には共通する部分もあり、その切り分けがむずかしいことも事実である。残念ながらこの問題について詳細に論じつくす準備は今のわたしにはないが、ここで可能な範囲で論じてみたい補説2-1

補説2-1:土居健郎による「甘え」の定義

  •  議論を進めるに当たって、その前に、ここで先に触れた土居の議論をなるべく詳しく紹介しながら、土居が甘えをどのように定義して議論を展開しているか、わたしなりにまとめておきたい。ここでは、土居の甘え理論の総決算とも言える『続「甘え」の構造』〔弘文堂、2001年2月〕を中心に、わたしなりの表現ないし理解も交えながら説明を試みる(以下の文章は、「甘えと信仰」に関する文章を上梓次第、加筆の上そちらに移動する予定である)。

     土居は日常用語としての「甘え」を定義して、《「甘え」は自分の世話をしてくれる者と気持の上で一体になることを欲することであり、また一体感を楽しむことであると定義することができる。現に一体感を楽しんでいる場合は「甘え」は感情であるが、しかし一体感の満足が得られない場合、「甘え」は欲望として意識される》〔土居『信仰と「甘え」』春秋社・1990年6月、p.157〕とする。また、《「甘え」の最も簡単な定義として、人間関係において相手の行為をあてにして振舞うことである》〔『続「甘え」の構造』、p.65〕とし、さらに、《「甘え」は愛情表出を伴う快い気分であり、時にそのような気分を求める欲求をさし、また感情的依存を意味することになる》〔同書、p.157〕としてこれを概念規定している。その上で土居は、『続「甘え」の構造』において、「甘え」を「健康で素直な甘え」と「自己愛的な屈折した甘え」の二種類に便宜的に区別して議論を展開する(ただし、土居は後者の「甘え」を必ずしも病的ないし不健全な甘えとしているわけではない)。また、ここは大変重要なところだと思うのだが、甘える当人は自分が甘えているという意識ないし自覚を持たないことが普通であることを土居がくりかえし指摘していることである。それに加えて土居は、日本語には「甘え」のバリエーションと見られる心理を意味する多くの関連語があるとして、「すねる」「ひがむ」「ねたむ」といった言葉を取り上げて「甘え」との関連を説明する。上にあげた「甘え」の定義との関連で言えば、これらの感情は、他者との甘えによる一体感が満たされない場合に生まれる欲求であり気分であると言える。そして、これら「甘え」の類義語的な用語は後者の自己愛的な甘えとの間により強い共通性を持っているように思う。北山修『意味としての心―「私」の精神分析用語辞典―』〔みすず書房・2014年1月〕も、《甘えには、満たされねばならない絶対の甘えと、味を覚えてからの相対的な甘えとがあ》〔同書、p.29下段〜p.30上段〕るとして、土居と大略同じような見解を示している。ただし、「甘え」を上記のように二種類に分類する理解の仕方は本来土居のよしとするところではなかったようだが、ここでは議論をよりわかりやすくするために、前者の甘えを「より無意識的で根源的な甘え」とし、後者の甘えを「より派生的な甘え」としてこれを理解したいと考えている(われわれが甘えを否定的に捉える場合のそれは後者のそれであると言える。またこの意味の甘えにしても、当人にとってもともと甘えが無自覚なるがゆえにさまざまな派生的な心理となって現われるのだと見ることができるだろう。土居の言う無自覚ないし無意識的な甘えは特に前者により特徴的な要素であると言えるように思う。
     その一方で土居は、先に引用したように、「甘え」を《人間関係において相手の行為をあてにして振舞うことである》〔『続「甘え」の構造』、p.65〕とするわけだが、その意味で「甘え」とは、「甘えたい」とする根源的で無自覚な欲求がまず当人の側にあり、その欲求をよしとしてかなえてくれる対象に依存した心理であると言える。ちなみに上記辞典によれば、aやmといった音韻から、洋の東西を問わず、《これらの音は唇の働きを生かして容易に発声され、吸着する口の働きが連想されるので、与えられることを求める「求める愛」の原体験を感じさせ》る〔同書、p.28下段〜p.29上段〕とする(イエスが神を「アッバ」と呼ぶことをわれわれに対して許されたことはよく知られているところだが、そのアッバもまたa音で始まることは大変興味深いものがある)。それゆえ「甘え」は口唇期(0〜1歳半)における乳児の安心感を意味していると解釈することができる。口唇期(時に口愛期とも表記されることもある)における発達課題は、先に人間の成長にとって一番基本的な発達段階として指摘したエリクソンの「基本的信頼」に時期的にも一致する。人間が生まれて最初の約二年間、特にこの時期における(授乳に代表される)母子関係は乳幼児にとってとても重要な意味を持っている。それだから、乳幼児にとってじゅうぶんに親に甘えられる体験というものは、その子どもの成長にとって極めて大切な体験なのである。(ここで少し補足的な説明を加えておこう。上記の乳幼児期における母子関係の重要さに関する指摘を見て、それが「甘え」と密接な関係があることは誰の目にも明らかであろう。そのことから、欧米社会にも言葉は存在しなくても「甘え」の体験があることに変わりはないのではないかと思われる人も多いに違いない。それはたしかにそのとおりなのだが、ここで注意しなければないことがある。それは、乳幼児期による母子関係の重要さが精神医学や教育心理学等の分野で特に強調されるようになったのは、実は20世紀に入ってから以降のことだということである。ここではこれ以上詳しくは述べないでおくが、それ以前の欧米社会において、子どもは長く「(肉体的かつ知的に)小さな大人」として捉えられており、肉体面・知識面以外では基本的に大人と同様に扱われてきた。乳幼児期の発達課題などといったものは、そこではほとんど配慮されずにきたし、事実それでじゅうぶん間に合ってもきたのである。)


 上で指摘した言葉と文化に関する議論を踏まえて言えば、土居が指摘するように欧米社会に「甘え」に対応する言葉が存在しないとすれば、日本人がいだく甘えの感覚そのものが欧米社会には存在しないということになる。いや、そればかりか、そのような事象は欧米人にはこれを理解することすら不可能かもしれない。少なくとも欧米社会においては、甘えないしそれに類する感情体験の重要性は近年にいたるまで特に指摘されてこなかったのである。

 このように見る限り、日本人にはごく当たり前な「甘え」という感覚も、欧米人にとってはただの「依存」(しかも悪い意味)としか捉えられなかったとしても仕方がないであろう。そのため、彼らが「甘え」を連想させる愛の神の概念を無意識のうちに排斥していたとしても、文化的な限界としては仕方がなかった面もあるのではないか。かくして、「甘え」の感覚すら持たず、甘えを「依存」として排除してきたヨーロッパ人にして初めて近代的な個人主義のイデオロギーを生み出しえたのだと解釈することもできよう。「近代の宗教」とも言われるプロテスタンティズムが個人主義的傾向を強く持つ理由のひとつがここにあると言うことができる。そういった観点から見ると、カルヴァンに代表されるプロテスタントの論者が、依存の要素を多く含む従来の信仰と一線を画し、成熟した正しい信仰の在り方の重要な要素として神に対する「厳しい怖れ」を一段と強調することもまた故なきものではないと思うのである。


 ここで、ついでながら簡単に注記しておきたいことがある。それは、ここで言う「依存」は厳密には「甘え」と捉えるべきであろうということだ。また従来の信仰とは、聖人崇敬や告解による赦しなどさまざまな秘蹟を用意して信者の心を慰撫してきたカトリック教会における信仰がそれに相当するとわたしは見ているのだが、彼らの目からすれば、それは否定されるべき依存ないし甘えに相当する信仰であったに違いない。いや、彼らにとってそれは不信心ですらあったであろう。彼らにとって神に甘えることなどは、まさに神に対する馴れ馴れしい態度であり、神の権威を蔑ろにする許されざる不敬虔な行為だったに違いないのだ。ちなみに土居は、甘えに否定的になりつつある近年の日本において、欧米同様「自立」と「平等」が強調されるようになったこととそれに伴う弊害を指摘している〔『聖書と「甘え」』PHP新書、1997年11月、p.58〜59、また、『甘え・病い・信仰―第3回長崎純心レクチャーズ―』創文社、2001年3月、p.22〜23〕。もっとも欧米人が「自立」を強調するのはかなり後世のことらしいがい補注2-1、その萌芽はすでに中世の頃から根強くあったと考えられる。それゆえに、依存を連想させる甘えが峻拒されたとしても文化的には仕方がなかったのだと見ることもできるのではないだろうか補説2-2

補注2:

  • (1) 「天は自ら助くる者を助く」といった有名な格言にしても、これが強調されるようになったのは17世紀以降のことだという。ただし、古代ローマ世界ではこのような標語を見ることもできるのだが、西洋中世世界においてこのような主張が特になされたことはほとんどないという。

補説2-2:甘えの概念を持たない文化に生じる問題点

  •  欧米社会に甘えに相当する概念がないことからくる弊害というか、その影響について、ここで参考までに触れておくことにする。

     甘えを峻拒すると言った場合の特徴的な例として、たとえば奇矯かつ難解で、おどろおどろしい印象が強いメラニー・クラインのような精神分析学説をあげることができるだろう。実際このような学説が生まれたのも、欧米社会に甘えに相当する言葉(概念)が存在しないがゆえではないかといったことを土居も『続「甘え」の構造』の中で述べている〔p.103〜5〕。もっともメラニー・クラインの学説についてはわたしもあまりよく知らないし、説明していると無駄に長くなるので、ここで詳しくは解説しない。ただ彼女によれば、すでに乳児の段階で、子どもは母親ないし母親的対象に対して感謝や愛情も当然いだくが、その反面、その根底において相当強い羨望などの破壊的な衝動をも併せ持っているとする。その「仮説」(精神分析学の学説は、たとえどれほどエビデンスがあっても仮説であることをやめることはない。歴史学も社会学も、人文系の科学の学説はすべてそのかぎりでは同じであると言えよう)の是非はさておき、すでに乳児期の段階でそれほどの敵意を母親や世界に対していだくとするクラインに代表される精神分析学説は、やはり子どもが親に対して甘えることを当たり前と見る文化のものではないと言うことができるだろう。このような激しい感情を乳幼児の中にすら認める見解は、だから、「甘え」の概念が存在せず、世界ないし人間関係を対立的に見るような世界観を発展させてきた文化だからこそ生まれてきた見解だと解釈することもできるのである。このような(たとえ母子間においても)自他を対立ないし峻別して捉える欧米の世界観が、その一方では神と人間との関係に投影されたとしても何ら不思議ではない。そのような傾向が、カルヴァンに見るような神に対する過剰な怖れを強調する「教義」を(近世初期のある一時期において)育んだ可能性も高いのではないか。わたしはそのように見ているのである補注2-2
     いささか余談ながら、クラインの学説は、灼熱の生存欲求であるフロイトのリビドー(フロイトはこの生命エネルギーを性的エネルギーと同一視し、その上でこのリビドーが蓄積された無意識の一番基層的な部分をエスないしイドであるとした。ただし、リビドーを必ずしも性的なもののみに限定せず、それらを含む生存欲求そのものと見ることもできる)の概念の中にすでにその根拠があったと言ってよいだろう。だいぶ乱暴ながら、簡単に言えばフロイトの学説は、社会生活を正常に送るためにはエスの欲求をそのまま外に表わすことができないがゆえに、抑圧に伴うさまざまな神経症の症状が現われるとするものである。これは、「人間は人間に対して狼」であって、自然状態のままでは「万人の万人に対する闘い」をもたらすだけだとした17世紀の政治哲学者トマス・ホッブスの思想と相通じるものがあると言えよう。このような見解は、卑俗な表現を使えば「性悪説」的な人間観だと見ることもできる。要するに人間の本質はホッブスやフロイトなどにしたがえば邪悪なものだということになるわけだが、このような見解は期せずしてキリスト教の原罪説と相通じるものがあると見ることもできるのではないだろうか(もちろんわたしは、イエスの教えすなわち福音はそのような性悪説的な人間観とは相容れないものだと信じている。言うまでもなく、それは性善説とか性悪説などといった観点ではそもそも括れないものなのである。ちなみに東方正教会においては原罪の教義はあまり強調されず、また、人間と世界ないし神と人間との間にもあまり対立を強調しない傾向が強いという。そこで上の議論は、あくまで西方キリスト教会およびその影響を受けた世界でのことに限定される。今後も特に断わりのないかぎりキリスト教と言えば「西方キリスト教」を意味していると理解されたい)。それに加え、クラインのように対象との関係において他者(この場合は母親)との対立を強調する見解もまた、キリスト教における神と人間の関係が投影されたものだと見ることができるかもしれない。あるいは逆に、これは個人と個人、ないし個人と世界が対立するような西欧的な世界観=人間観がキリスト教の人間観=世界観にも影響を与えたのだと見ることも可能であろう補注2-2


補注2(2):

  • (2) もとより厳密に言えば、これはどちらが先だと言える事柄ではなく、相互的かつ相補的な関係で発展してきた価値観=世界観であり、また神学観であると言える。すなわち、世俗的な価値観=世界観が神学的な世界観=信仰観に影響し、その神学的な世界観=信仰観がまた世俗的な価値観=世界観に影響を与える、そのような相互的かつ相補的な関係がそこに認められるのである。こうして、神と人間とが厳しく対立するような(それは当然の帰結として自然と人間との間にも投影される)世界観また信仰観が生まれたのではないか。そして、それが時代が下るにつれてその傾向がますます強くなっていったのではないだろうか。わたしはこのように見ているのである。そこには先に指摘した先鋭化の動き(ダイナミズム)が働いていると見ることができよう。くりかえしになるが、そのような神と人間とが厳しく対立する世界観を育んできた文化だからこそ、対象との関係において他者との対立を強調する、たとえば母子が厳しく対立するようなクラインに代表される学説になって現われたと見ることもできるのである。
     なおここで注意してほしいことは、ここでは簡単な指摘にとどめるが、これらの影響関係は、そのどちらかが先だと言えるような因果律的な一方向的な関連(ストローク)ではなく、相互的かつ相補的な関係における影響であるということである。当然ながら西欧文化はキリスト教の影響だけで形成されたわけではなく、キリスト教もまた西欧文化の影響だけで形成されたものでもない。しかもそれは、片方に純粋なキリスト教があり、もう片方に純粋な西欧文化があって、それらが相互かつ個別的に影響を与え合ったということでもない。これは、たとえばAからBに対する影響と言った場合も、それは〔A→B〕という一方的なストローク(一行程、一動作)によるものではないということを意味している。相互に影響関係があると言った場合でも、それは双方向にそれぞれ個別的なストロークがたまたま同時に行なわたということでもないのである。この辺の事情はなかなかうまく説明ができないのだが、これは必ず同時に起こる種類の相互的な関係を言っているのだと言えばよいであろうか。わたしが「相互的」とか「相補的」と言った場合は、そのような同時的かつ共時的な非ストローク的な関係(大体において「関係」ということ自体がストロークという概念にそもそも馴染まないのである)を念頭においているのだということを遅ればせながらここで指摘しておきたい((以上はどうもあまりうまく書けていない印象があるので、こちらも後日考えを整理してきちんと書いておきたいと思っている)
2012年9月18日アップ、2013年7月4日 ドメイン変更に伴い改訂、2016年9月13日 改訂/管理人:ヘレム=キラー メール
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