先に畏怖と怖れについて論じた頁の注記において簡単に触れたように、わたしは「近代のあけぼの」と言われるルネサンス期の末期に宗教改革が起こったということはとても重要だと考えている。結論を多少先取りして言えば、わたしは、その近代化とそれに伴って生まれた個人主義が神に対する過剰な怖れを必然的にもたらした可能性もあるのではないかと考えているからである。本頁においては、このような観点からプロテスタント革命を捉えてみたいと思う。
多少ステレオタイプな言い方ながら、18世紀の啓蒙思想以来、人類は次第に宗教的ないし霊的な感性を失っていった。そして、人類が自然に対する畏敬の念を忘れるのと引き換えに、科学、特に自然科学を絶対視する立場が多くの人たちの心を捉えることになった。それまでのように単純に宗教を信じることができなくなった近代人は、その代わりとして科学を宗教に変わって信奉するようになるのだが、これがいわゆる科学信仰、技術信仰という「態度」である。かくてこの時代を境にして、人間は自分たち人類の力を過信し、ここに悪い意味の人間中心主義がはびこることになる。そのような風潮の中、信仰は経済その他この世的な事柄にその中心的な座を次第に明け渡すことになった。これらの変化を一般に「世俗化」と言うのだが、これを分かりやすく言えば、人びとの信仰の対象が天の父なる神からこの世の神であるところの金(マンモン)すなわち経済に移ったということである。このようにして、近代科学とそこから生み出された科学技術、そして産業革命を経て今も発達し続ける経済優先主義(市場原理主義や新自由主義はその最たるものと言えよう)は、陰に陽に人びとの生活に影響を与えて現代に至っている〔次項参照〕。前にも述べたように〔「畏怖と怖れ」中の「驚きの感覚を忘れた現代人」の議論を参照〕、かくして自然に対する畏敬の念を忘れた人類は、次第に霊的な感性を忘れ、過去の時代と比べてより動物的とも言える状態に陥ってゆくことになった〔ヴァン・デン・ベルク『現象学の発見――歴史的現象学からの展望』立教大学早坂研究室訳、川島書店・1988年2月、特に「第三章 現代と宗教――その現象学」を参照〕。
よく知られているように18世紀にはイギリスで最初の産業革命が起こっているが、それはイギリス一国にとどまらず、世界の工業化ないし産業化として、産業革命は今もその発展の途上にある。産業革命による変化はそれ以後、世界中の人びとに明暗さまざまな影響を与え続けて今日に至っている。それは近代の完成をも意味していると言えよう。しかも大変興味深いことには、この産業革命の時期と相前後して青年期が生まれたということである。また、人はこの時代以降初めて神経症で苦しむことになったという事実もなかなか興味深いものがある(詳しくは後述)。これらの問題については、本頁の論点からはかなり外れる議論ながら大変興味深く重要な論点なので、参考までに以下でなるべく詳しく論じておくことにする。
前頁でも紹介したヴァン・デン・ベルクの『現象学の発見』によると〔第八章「青年期の歴史的相対性――十八世紀~現代、子どもと化した大人――」、立教大学早坂研究室訳、川島書店・1988年2月、参照〕、青年期はルソーの『エミール』(1762)以後ヨーロッパにおいて初めて生まれた概念である可能性が高いという。著者によると、産業革命によってそれまでの生活環境が大きく変わり、子どもは従来のようにそのまま大人の世界に入ってゆけなくなった。そのため、産業革命によって大きく変貌した大人社会に子どもがすんなりと適応するための準備期間ないし教育期間が必要となる。これが近代以降、教育制度の確立とともに、あるいはそれと相俟って、ヨーロッパにおいて初めて青年期が生まれた理由である。青年期とは、要するに社会がつくった「待合室」としての執行猶予(モラトリアム)の期間なのである。もっとも、ルソーは青年期を半年から1年程度の期間と見ていたらしいが、これは現代では信じられない見解であろう〔補注1-2-1-1〕。辞典などにも見るとおり、現代では、青年期とは、人間の14、5歳から24、5歳頃までの、性的特徴が顕著となり、自我意識が著しく発達する約10年ほどの時期とされ、あるいは最近は30歳前後までの期間とされることも多くなったという。実際、小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』〔中公叢書・1978年、*中公文庫・1981年〕などにも見るように、青年期およびそれに準じる時期は、時代が進むに連れてさらに延びてきているのが実情である。
これは前頁の補注において言及した議論とも関係するが、青年期はヨーロッパ近代以前の原始的な民族にも存在すると見る人もいる。その証拠に、アイデンティティー論で有名なエリクソンなども、先にも触れたように、アメリカ・インディアン二部族をフィールドワークした結果も踏まえて、原始的な民族にも青年期が存在すると考えていると見られる〔『幼児期と社会』全2巻、仁科弥生訳、みすず書房・1977年5月-1980年3月、第1巻〕。これなどは上記の議論とは正反対の立場だと言えるが、これに関して言えば、コロンブスやコルテスの時代ならばともかく、彼らが現代アメリカの「居留地」に生活していることを無視することはできない。フィールドワーク的な研究によっては、類推は許されても、コロンブスによる新大陸発見以前のアメリカ・インディアンの心性に関して純粋な形での比較ないし記述自体がすでに不可能となっていることを忘れてはならない。たしかにその文化特有の性格形成は現在においても当然残っているだろうが、しかし、彼らは現代に特有の変化をも受けている存在である。われわれはそのような存在として彼らを見なければならないのだ。
これも同じく前掲の『現象学の発見』の指摘によるのだが〔上掲書p.64~65.及びp.179~181参照〕、それによると、哲学者のヒュームを治療したチェインという医者が1733年に初めて神経症に関する本を書いているという。しかもこの1733年という年は、実は産業革命の最初の機械が発明された年でもある。つまり、この時代に初めて神経症に関する本が書かれたということは、神経症は産業革命以後の生活の変化に合わせて現われた疾病だということになる。前頁で述べたこととも関連するが、このことは、近代以前には神経症という病気がそもそも存在しなかったということを意味している。すなわち、ストレス学説の登場によって現代人がストレスを感じるようになったのと同様、あるいは江戸時代に存在した疝気(せんき)という病がその時代特有の身体観(世界観)がなくなるすると同時に消失したのと同じく、神経症にしても、神経症という言葉がなければ――あるいは発見されなければ――その病気自体がその人たちの世界には存在しなかったということになるわけである〔ヴァン・デン・ベルク『現象学の発見――歴史的現象学からの展望』立教大学早坂研究室訳、川島書店・1988年2月、p.180参照〕。
さらに、これも上記補注で取り上げた議論と関連するが、産業革命以前に神経症的な症状が皆無だったと断定できるかどうかについては、わたしも多少疑問をいだいている。たしかに青年期に関しては産業革命以前には厳密には存在しなかったであろう。けれども、神経症的な症状に関しては例外もあったのではないかと思う。
ここでは精神病的な疾患と神経症はいちおう区別して論じているが、当時もやはり一部の人たちは心を病んだであろうし、事実メランコリーなどは古代ギリシア・ローマ時代からその存在を知られていた。そのような神経症的ないし精神病的な症状の多くは、当時においては祟りや神がかりといった霊的な観点から解釈され処理されたことも多かったに違いない。それらの症状を患う人は、時に憑きものとして怖れられ、あるいは忌避される一方で、時に共同体を導くシャーマンとして畏怖されもした。そのような人たちは、時代に先立って、心を病むという形で共同体に対して何かを伝える、あるいは何かを実現する徴候的な人たちだったのだと考えられる。彼らは時に時代を動かす預言者的な働きをもなした、真に偉人と呼ぶに相応しい人たちだったのである〔補注1-2-2-1〕。それは現代でも変わらないとは個人的には思っているが、それとは別の意味で、現代においては精神的な疾患を単に個人的な疾患として患う人が多くなったのだと見ることができる。そういった意味合いで、現代人のように単なる疾病として個人的に神経症を患う人は産業革命以前にはほとんど存在しなかったのだというのならば、上記の見解はわたしにも了解できる視点である。このように精神病ないし神経症の意味が近代以前と現代とでは大きく変貌しているのであって、特に神経症と言った場合は、そのような個人的な疾患を意味する時に使うのが適切であるように思われる。いずれにせよ、神経症や青年期といったものが産業革命とほぼ時期を同じくして生まれているという事実は無視できないものがあると言えるのである。(ここでは精神病的な疾患の意味を洋の東西を問わぬ形で論じたが、中世ヨーロッパ世界に限定して言えば、精神病を患う人は、多く魔女ないし悪魔に魅入られた者として怖れられ排除されたであろうことを忘れてはならない。ルターにしても、時と場合によっては、その先行者と同じく、異端者として、あるいは悪魔に魅入られた者として処刑台の上に消えていった可能性も否定できないのだ。このことに関しては、洋の東西を問わず、また宗教の違い等を越えて、異質なものの「排除の思想」として後日詳しく取り上げて論じたいと考えている。)
以上、補足的な論点も含めいろいろと述べてきたが、このように産業革命とそれが与えた影響はその後の世界の「運命」〔補注1-2-3-1〕を決定したと言っても決して過言ではない。
産業革命とは、1733年にジョン・ケイによってイギリスで産業革命の最初の機械が発明されたことに端を発し、さらに1771年になってリチャード・アークライトが水力紡績機を開発してこれをさらに前進させたことに由来する産業生産に関わる一連の革命的な変化である。このことからもわかるように、産業革命が効率的な産業機械の発明に負っていることは極めて重要である。すなわち、産業革命において機械のパラダイムが初めてヨーロッパに出現したのであり、それはヨーロッパという地域的限定を越えて、工業化ないし産業化の波として世界中に広がっていった。それは近代化の波でもあって、現代人は今もこの機械のパラダイムの影響下に生きている。こうしてさまざまな機械や発達した官僚組織(その官僚組織もまた機械化に伴う産業の発達が導き出したという側面が強いとわたしは捉えている)の中において、人はマックス・ウェーバーの言う《鉄の檻》〔マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫、大塚久雄訳、1989年1月〕の中でその人間性を疎外されて苦しむことになった。「マクドナルド化する社会」〔ジョージ・リッツア『マクドナルド化する社会』正岡寛司監訳、早稲田大学出版部、1999年5月〕などという表現にも象徴されるとおり、現代はまさに管理化された社会、いや、ますます管理化されつつある社会なのである。現代人は実にそのようなオートメーション化されつつある社会の中で生きているのであって、これは現代に生きるわれわれの逃れられぬ「定め」〔前記補注1-2-3-1〕なのかもしれない。
それでは、それらの近代化の変化の直接的な要因は一体何だったのであろうか?
上で見てきたように、その直接的な原因は18世紀の一連の変化に求めることができる。しかしながら、そのような近代の技術文明を準備した近代科学そのものは、実はさらにその前、17世紀にはすでにその芽を出し、続いて科学技術の発達によって近代化が始まったとされる。しかもその近代科学および近代化を準備したのは、実は遠く14世紀から16世紀のルネサンス期に起こった一連の「変化」であった。いくぶん教科書的表現ながら、ルネサンスは「近代のあけぼの」と言われるが、その変化の中に当然プロテスタント革命も含まれている〔補注1-2-4-1〕。先にも述べたように、そのルネサンス期の末期に宗教改革が起こったということはとても重要な意味がある。要するにわたしは、近代化とそれに伴って生まれた個人主義が神への怖れを必然的にもたらした可能性もあるのではないかという観点からプロテスタント革命を捉えたいと考えているのである。
わたしは上でプロテスタント教会を近代の宗教だとする表現を用いたが、この表現はあまりポピュラーではないかもしれない。この表現はカトリック教会が時に「中世の宗教」と言われることに刺激されて用いた面もある。だとすれば、この表現は近世ないし近代初期に宗教改革が起こったということを単に意味しているにすぎないとも捉えられるかもしれない。しかしながら、それは単なる「時代区分」だけでそう呼ばれるべきものではない。もしも単なる発祥および活躍した時代でもって教会をこのような時代区分で呼ぶとすれば、今度は、東方正教会は古代の、カトリック教会は中世の宗教である(でしかない)ということになる。たしかにそれらの呼称は必ずしも間違いではないが、東方正教会やカトリック教会は、正確には「古代ないし中世の要素を現代にまで伝えている教会」という意味だと捉える必要がある。ペテロの教会と言われるカトリック教会に対してパウロの教会を名乗るプロテスタント教会も、実はその意味で近代化の要素の強い宗教であるということなのである。(ついでながら、ここで誤解のないよう書いておくが、わたしはカトリック教会の方が問題が少ないとか、東方正教会の方がよいなどと間違っても言いたいわけではない。それらの信仰に参考にするべき、あるいは見習うべき点はいくらでもあるだろうが、ここではそういうことを言いたいわけでもない。わたしが言いたいのは、プロテスタントにしてもカトリックにしても、あるいは東方正教会にしても、そのそれぞれがお互いに可能性と限界を持った信仰形態であるということである。先に述べたとおり完全な教会はこの世においてはありえないのだから、これは当然の論理的帰結と言うべきであろう。)
神を否定し、自然への畏敬をも忘れ、現代人をその人間性において疎外している近代文明の風潮に対して、当然ながらプロテスタンティズムは批判的立場を取り、さまざまなリバイバルを行なってその信仰を守ろうとしてきた。それは紛れもない事実である。しかしその反面、当のプロテスタンティズムは、やはり近世ないし近代の宗教としてその限界を強く持つ宗教であるというということもまた免れることができない事実なのである。
それだから、プロテスタント教会が――当初より、そして現に――いくら近代化に対して否定的な立場にあったとしても、それだけをもって近代化の運命(ベルジャーエフ)からプロテスタント教会が自由であると見ることはできない。大体において、人間がつくる組織で、その組織が属する社会の動きから完全に自由な組織はそもそも存在しない。それは教会とても例外ではない。カトリック教会が当時の中世世界に伴う欠点をその胎内に持っていたように、プロテスタント教会もまたその時代特有の特徴や限界をそのうちに持っている宗教なのである(もちろんお互いにそれぞれ長所も併せ持っているのであって、われわれはそのことを失念してはならない)。プロテスタント教会もまた、大自然や超越者に対する畏敬の念を忘れた現代文明を準備したその近代化の過程で、ひいてはそのような社会の中で花開いた宗教であることに変わりはない(もっともその必然性がどの程度であったかとなると、そこに神の意志がどの程度働いていたかも含め、それは未知数であるとしか言いようがない)。だとすれば、プロテスタント教会もまた現代社会が抱える問題を同じ程度に抱えていても決しておかしくないはずである。プロテスタンティズムとは、――近代化がもたらすさまざまな事柄に対して、たとえ保守派のクリスチャンたちがいくら(意識の上で)否定的な態度を取ろうとも、――やはりその胎内に近代化に伴う欠陥を孕んだ、そこから逃れることのできない信仰形態なのである。したがって近年の聖書根本主義も聖霊主義もまた、近代化に伴う同様の限界性をそのうちに孕んだ宗教であることに変わりはないということになる。ただし、近代化に伴うさまざまな問題がいくら教会および信仰の足枷になっていようとも、この世の国ではない(ヨハネ18:36)神の国の原理に生きることを旨とする教会が、これら近代化に伴うさまざまな問題にコミットし続けることの意義は、もちろんいつの時代も変わらずにある教会のアイデンティティーであるはずだと思う。
近世ないし近代の宗教と言われるプロテスタント教会は、よく知られているように実際はルネサンスとそれに伴うヒューマニズムを強く否定したが、その代表的事例がルターとエラスムスによる自由意思をめぐる論争であった〔補注3-1〕。そのことも手伝って、プロテスタンティズムは以後も自由意思論(エラスムス)に代表される近代的ヒューマニズムを否定し、これと対決することになる〔補注3-2〕。
このように、人間の自由意思をほぼ完全に否定し、その意思を奴隷意思に他ならないとしたルターの神学的発展、そのような保守的なプロテスタンティズムの神学がカルヴィニズム的な人間否定の神学を胚胎させるのも故なきとしないのではないか〔補注3-3〕。つまり、それら近代化および人間中心主義に対する否定の重要な要素として神に対する怖れの強調があったのではないかとわたしは見ているわけだが、これについては今後書く予定の文章で詳論する予定である。そういった次第で、リバイバルが起こると、大概はその傾向の、すなわち人間性否定に傾いたキリスト教の「再生」が叫ばれる理由もおそらくそこにあると言えるのではないかと、わたしはこのように見ているのである。
補注3(2):
次にプロテスタンティズムの近代的性格は、それが個人主義と切っても切れない関係にある宗教であるということに特に現われている(この問題はいずれ詳しく論述すべきテーマだろうから、ここではできるだけ簡単に説明する)。もっとも個人主義がヨーロッパにおいていつごろ発生したかは諸説あろうが、わたしは大雑把ながらプロテスタント革命の前後に個人主義の発祥をみたいと考えているる〔補注4-1〕。
プロテスタンティズムの個人主義的な特徴はルターの「万人司祭説」によく表われている。それは簡単に言えば、「人はすべて一人で神の前に立たねばならなくなった」〔補注4-2〕という宗教的=心理的体験を象徴的に表わしている。
補注4(2):
プロテスタント革命以後は、それまでのカトリック教会のように、告解その他の秘蹟などによって教会が神との間を仲立ちしてくれることはなくなった。つまりプロテスタント革命以後、クリスチャンは神の怒りの前に一人でさらされることになったのである。プロテスタントの著述家なり説教者が神への怖れを強調しようがしまいが、それとは直接関係なく、ここに神への強烈な怖れが個人的にもキリスト教信者を襲ったとしても決して不思議ではあるまい。
もとよりカトリック教会においても、当然のこととして神に対する怖れは教えたであろう。あるいは若き日のルターのように、信者が個人的に過剰に神を怖れたこともあったであろう。しかしながら従来カトリック教会などの古典的な教会では、聖人崇敬や告解その他さまざまな秘蹟を含む「抜け道」が用意されており、伝統的にそれらが信者に安心感を与えてきた。そのため、プロテスタント革命以前は、教会が与えるさまざまな秘蹟などの援(たす)けによって、人は直接に神の前に立たされることはなかった。ところが、宗教改革においてカトリック教会におけるさまざまな秘蹟や功績主義が否定されたため、プロテスタント教会においては、人は独立した個人として直接神の怒りの前にさらされることになった。その時以降、教会もその秘蹟も神の怒りから彼を遮(さえぎ)ることはできなくなったこと、そして、個人として直に神の怒りと裁きの前に人が直接さらされることになったことが教会によって人々に告げられたのである。それらが当時の人々に大きな心理的影響を与えたとしても決しておかしくないであろう。それゆえ、プロテスタント教会が必要以上に神への怖れを強調する印象を与える理由もここにあるのではないか。近代のキリスト教が、神への自然な畏敬ではなく、不自然に感じるほどの神への怖れを強調しなければならなかったのもこの辺に原因があるのではないかとわたしは考えている。神への怖れの強調はその意味で近代人の「宿命」(ベルジャーエフ)だったのかもしれない。
最後に、「怖れ」という観点からは抜け落ちざるをえないプロテスタンティズムの特徴について、ここで簡単ながらまとめておきたい。
以上の指摘がよく証明しているように、プロテスタンティズムが主知主義的な傾向の強い信仰形態であるということをここで指摘しておきたい。ちなみに、プロテスタンティズムに限らず、主知主義的傾向は近代個人主義とは不即不離な関係にある。長くなるので、ここではこれ以上詳しく書けないが、これがプロテスタンティズムが近代の宗教だとするその最大の特長でもあると言えよう。神への過剰な怖れの強調とはまた別の意味で、このことがまた大きな弊害をもたらす因(もと)にもなるのである。
その弊害の実態については今は割愛せざるをえないが、キリスト教に限らず、西欧的な近代的価値観は理性偏重で、身体感覚を含む感性を蔑視してきたことが最近つとに指摘されるようになった〔脚注5-1-1〕。人間は全的に完成・陶冶されてこそ人間なのだから、特に人間の身体性を等閑に付した哲学は、多くの人が指摘しているとおり、やはりそれだけで多くの弊害を伴っていると見るべきであろう。日本でも知育偏重の教育が批判されて久しいが、身体性を含む感性の蔑視は、人間の知性にとってもかえって多くの弊害と問題をもたらすのである。
もちろん、キリスト教とその霊性においてもそれは例外ではない。カルヴァンが、奢侈に流れがちないわゆる感覚文化を忌み嫌い、ジュネーブ市からそれらを厳しく排除しようとしたことはよく知られているところだが、こういったことにもそれはよく現われている。これは多少極端な例かもしれないが、偶像破壊の情念が先鋭化した例としては格好なもののひとつだと思う。知性ばかりを重視し、感性や情念といったものを安易に否定してこれを顧みないでいると、人間はかえってこれに復讐される。近年一部の神学者によって、宗教改革、特に禁欲的なピューリタニズムの影響によって一度失われたに等しい典礼(ルーテル教会などは例外としても、プロテスタント諸派において、特にカルヴァンの流れを汲む長老=改革派の教会においてその傾向が特に強いと言える)の見直しが叫ばれるのも故なしとしないであろう〔以上の議論に関しては、わたしが読んだものとしては、パネンベルグ『現代キリスト教の霊性』第二章(教文館、1987年7月)がこの問題が取り上げて論じている〕。
今回は補足として簡単に指摘するにとどめるが、ルネサンスはもちろん宗教改革の進展にグーテンベルクによる活版印刷術の発明が非常に大きな影響を与えたことを指摘することを忘れてはならない。この発明があったればこそルター訳の聖書が世に広まり、宗教改革も燎原の火のごとく広まったのだと言うことができるからである。
従来カトリック教会においては、聖書はギリシア語からラテン語に訳されたウルガータ訳だけが公式の聖書として存在し、ラテン語を解さない一般信徒は、教会のミサにおいて朗読される聖書を聴いて暮らしてしていた。日本人で言えば、それは法事などで読経される経文を有難く聞くようなものだったのではないだろうか。もちろんそれが一概に悪いというわけではない。近代以前の文化においてはそれが当たり前だったからだ。それだから、聖書を当時独占したとも言えるカトリック教会をそのことだけでもって非難することはできない。
キリスト教に限らず、洋の東西を問わず、特に宗教的な古典は、本来その内容をそらんじている聖職者が一般人信徒にその内容を語って聴かせるか、文字が読める者がそれを朗読して聴かせるものであった。現代の文化を「文字の文化」「黙読の文化」だとすると、それ以前の文化は「声の文化」「語りの(あるいは聴く)文化」であったと言えよう。伝統宗教はすべてこの「声の文化=語りの文化」の時代から長く続く信仰形態であることを忘れてはならないだろう。もともと聖書とは読むものではなく、聴くもの(聴き取るもの)なのであった。
いずれにせよ、ルターは聖書をドイツ語に翻訳することによって、それまで教会が占有していた聖書を一般人がその膝元で読むことのできる「書物」とした。それ以降、聖書は一般の書物とともに“読書の対象”となったと言うことができる。プロテスタント教会による個人で「聖書を読む」という信仰形態は、だから、長い人類史から見れば非常に新しい、とても珍しい形態であると言うこともできるのではないかと思う。プロテスタント革命以降、キリスト教徒、特にプロテスタント信者は、それまでの伝統と違って、聖書に対して読書するようにこれに対するようになった。これもまたプロテスタント教会の大きな特徴のひとつであると言えよう。その証拠と言っては何だが、プロテスタント信者の多くが自らの信仰を「聖書の信仰」と称する――これは非プロテスタント信者には多少違和感のある表現かもしれないが――ところにもその特徴がよく現われていると言うことができるだろう。
なお、ここでもうひとつ指摘しておくと、プロテスタント革命とそれによる聖書の自国語への翻訳によって聖書を読むことが一般人にも可能になったとは言っても、それは原理的な、あくまで可能性としての話である。当時の識字率からみた場合、自国語で聖書が読めたのは、ラテン語やギリシア語などの古典語は解さないまでも、自国の文字は読むことができた一部の知的エリートだけであったと考えられる。そう考えると、当時は聖書はまだ一部の人だけの独占物であったとも言える。これはある本に書かれていたことなのだが〔小泉徹『宗教改革とその時代』世界史リブレット27、山川出版社、1996年6月〕、文字を読めない底辺層の労働者たちは、新しくできたプロテスタント教会に参列しても、説教の内容もよく分からず〔補注5-2-1〕、結局スポイルされてしまうことになる〔補注5-2-2〕。従来とは違って教会(中世のカトリック教会は共同体の社交の場でもあった)に居場所がなくなった彼らは、当然のことながら日曜日の朝から酒場に入り浸るのだが、教会に通う敬虔なエリートたちは、その事情も考えずに、これを単に不謹慎とばかり決めつけて日曜日の酒場の営業を禁止するのである〔同署、p.56~59参照〕。
これは非常に興味深い逸話だが、考えようによっては、「信仰による疎外」(工藤信夫)の問題はこのようにプロテスタンティズム発祥間もない頃から存在していたと言うこともできるかもしれない。これは由々しき問題と言わざるをえないだろう。何となれば、プロテスタンティズムはその発祥の初期から「信仰による疎外」の問題を少なからずその胎内に抱えていたことになるからである。その証拠と言っては何だが、前掲の小泉の指摘〔前掲書〕によると、その後、識字率の低い一般大衆は次第に教会から離れ、キリスト教信仰に対して「無関心」という消極的な形での抵抗を示すようになる。わたしはこれが世俗化への原動力の一つになったという側面も否定できないのではないかと思う。いずれにせよ、彼ら一部のエリート信者の振る舞いとキリストに対するその熱意とが一般人を「福音」からかえって疎外していたとするならば、これは皮肉以外のなにものでもない。
最後に、あまり詳しくは論じられないのだが、簡単ながらここで結論めいたことを書いておきたい。
たしかに古代人の信仰生活の方が、外面的に見れば「怖れに根ざした信仰」の名にふさわしいかもしれない。このような見解は、たぶん多くの人が認めるところであろう。しかしながら、20世紀になって現われたさまざまな文化人類学的な研究成果にも明らかなように、古代人はそれらの怖れを中和するさまざまな儀式なり作法なりを持っていた。そのため、彼らはそれら怖れをもたらす対象に対していたずらに囚われることなく平穏に日々の生活を送ることができたのである。ところが、それに対して現代人はどうか。彼らははたして古代人がいだいたような怖れを克服しているだろうか? 深層心理学的な知見を援用するまでもなく、合理的に物事を判断するようになったはずの現代人が、意外なことに不毛な怖れなどの原始的な感情生活を送っていることはよく知られている事実である。
なお、これに関して先に触れた著作の中で浅見定雄氏が「浮遊する霊」という表現で大変興味深いことを書いているので、参考までにここで紹介しておきたいと思う。それによると、古来より伝統的に伝わってきた怖れを解除するためのさまざまな「作法」が崩れた現代では、本来は霊が出現しなかったような昼日中にまでのべつまくなしに霊が現われるようになってしまったというのだ〔『なぜカルト宗教は生れるのか』日本キリスト教団出版局、p.224~226〕。浅見によれば、そのような不合理な怖れが、人がフォビアを用いた破壊的カルト集団による強力なマインド・コントロールの餌食となる原因でもある。そういった観点から言えば、合理主義に生きているはずの現代人の方が昔の人たちよりもよほど怖れに根差した精神生活を送っていることになる。それは、キリスト教のようないわゆる高等宗教(この表現は現在ではあまり適切ではないかもしれないが、今はとりあえずそのまま使う)においても例外ではないとわたしは見ているのである。先にも指摘したように、本来「恐れからの解放としての福音」を宣べ伝えるものであるはずのキリスト教が、何故にそれとは正反対の「怖れに根差した信仰」を宣教するものとなってしまったのか。それもこれも、伝統的なキリスト教神学に本来そのような怖れが内在していたことがひとつの原因となっているのではないだろうか。わたしはキリスト教、特に禁欲的なプロテスタンティズムにおける過剰な神に対する怖れの強調の原因をそこに見出しているのであり、そのことをここで問題提起しているのである。
社会心理学者のエーリッヒ・フロムなども指摘するように、近代合理主義の発展によって、現代人の意識の上からはそれらの怖れは一見払拭されたように見えながら、実際はそのような不合理な信念は彼の心の奥に今も無意識に存在し続けている〔エーリッヒ・フロム『精神分析と宗教』東京創元社、p.39~43参照〕。しかし恐ろしいのは、古代人の「怖れに根差した信仰的営為」よりも、合理主義的な現代生活の中で無意識に抑圧されている分、無自覚な現代人の(無神論・無宗教を含む)怖れであり、その「怖れに根差した信仰態度」の方なのである(ここで言う怖れは、たぶん無意識なものが大半だろうが、それはかえってterrorやphobiaレベルの恐怖心である場合が非常に多いのではないかと考えられる)。
現代人は古代人とは違って怖れとは遠いように見えて、その実、近代化の過程において、皮肉なことに人生におけるさまざまな怖れを中和させる方法をなくしてしまった。そのため、現代人はかえって怖れを内在化してしまったのではないかと思うのだ。神に対する怖れにしても、宗教的信仰が近代化(=世俗化)の過程の中で次第に変質してゆくにしたがい、さらに不毛なものになっていったように思う。あるいはその神への怖れは――近代資本主義の勃興とそれに伴う世俗化のプロセスの中で、神に対する信仰が経済(マンモン)へのそれにすり替わっていったように――それにふさわしいものに単にスライドしただけなのかもしれないのだが。